自然の猛威
〜東北関東大震災について思うこと〜

2011年3月11日14時46分頃,三陸沖でM9.0の地震が発生した.日本国内観測史上最大,世界的に見ても第4位の巨大地震であった.その後の余震,さらに津波が発生し,甚大な被害をもたらした.
 
こんな巨大地震が日本で起こるなんて誰も思ってはいなかっただろう.もちろん地震大国日本では,いつどこで大地震が起こってもおかしくはない.しかしこれほど大きな地震が起こることを心配して生活している人などいなかっただろう.天災は忘れたことにやってくるのだ.
 
特に津波による被害は大きかった.宮古市にある日本一の防潮堤でも防ぐことができなかった.
このニュースを受けてネットでは事業仕分けでスーパー堤防を無駄遣いとして廃止と判定した蓮舫大臣が叩かれた.災害対策を仕分けして国民の命をなんと思っているのか,あれば被害を少なくすることができるのではといった意見だ.石原都知事も同じ考えのようだ.
 
しかしそうだろうか.どんなに立派なものを作っても災害を押さえ込むことはできない.100年に1度の災害に対応しても200年に1度の災害は防げない,200年に1度の災害に対応しても500年に1度の災害には…1000年に1度の災害には….結局きりがない.蓮舫大臣も堤防が無駄だといっているのではない.あくまでもスーパー堤防が無駄なのだ.現実的な防災設備を整えるのが重要だということだろう.
 
今回の震災では日本一の防潮堤と信頼しすぎて自然の力をあまくみていなかっただろうか.よく平和ボケという言葉を聞く.日本では長らく戦争に直接巻き込まれてこなかったことから平和であることが当然となり,実際の他国での紛争,戦争に対し理想論ばかり上げ,現実と乖離してしまっている状態だ.災害についても同様のことがいえよう.日本人は災害ボケに至っていないだろうか.
 
現在の科学をもってすれば災害が発生しても解決できる.災害など恐れるに足らない.阪神淡路大震災も喉元過ぎれば何とやら.まさに災害ボケといえよう.さらにスイッチを押せば電気が付き,蛇口をひねれば水が出て,24時間買い物もでき,こんな便利な国に住んでいると,こんな生活が当たり前のようになってしまう.すべてにおいてボケている.水や電気のありがたさを忘れてしまっている.今回首都圏では計画停電があったが,あらためてこれらの有り難さを実感しただろう.
 
今回の震災で災害ボケに気づくことができたと思う.ただその代償は大きかった.今回の震災から学ぶことは原点にもどることだ.それは自然の脅威に人間が太刀打ちなどできない,驕れるな.スーパー堤防など作っても無駄だ.現実的な防災設備で十分.どっちにしても自然の脅威をおさえこむことなどできないのだから.むしろ実地に即した防災を考えるべきだ.たとえば地震のあと津波が来るのは当たり前と思え,後ろを振り向かずとにかく高台へいく.そのために避難しやすい経路(道路)や高台まで距離がある場合は地域ごとに避難用に使えるビルを作るいった防災町作りが重要だろう.
 
政治家や官僚は公共事業として大きく目立つ世界で一番の箱物を作りたがる.学者も研究室にこもりシュミレーションなどして,大きな構造体の必要性を訴える.その方がインパクトがあり,注目されるから.しかし本当に必要なのは実地に即した防災計画が重要だ.高齢化社会では避難する人も高齢者.早く走れるわけではない.中には寝たきりも人もいる.こういった人をどう避難させるか.それはコミュニティーの問題もあり,霞ヶ関の省庁の中で計画を立ててもダメだ.コンピューターでのシュミレーションでもわからない.全国規模で一律の設計のスーパー堤防を作るのではなく,各地域にあった防災設備が重要であり,またそれらさえ過信せず自然の脅威を忘れないことと思う.
 
自然の脅威などといっていると,これも理想論でおまえもボケているといわれそうだ.しかしこういった概念も重要だと思うし,そのことに気づかなければ,今後も意味のない防災設備を作り続けることになるだろう.
 

-May.2011