文化や歴史から鯨を取り巻く問題について中立的な立場で述べている.著者は捕鯨賛成であるが,非常に冷静で論理的に問題について述べている.ただし捕鯨問題そのものについては無難に流し,あまり深く掘り下げていない感じがある.科学的データなどをもとにもっと踏み込んで欲しかった.捕鯨問題の現状を把握するための最初の1冊としてはお勧めの本である.

著者はグリンピースジャパンの事務局長で,反捕鯨の立場である.ただ単に反対するのではなく,冷静に話し合い,問題解決をしたい姿勢は評価できる.しかし本書の内容は従来通り,感情的,中傷めいた記述が多い.もう少ししっかりとしたデータをもとに論じて欲しい.日本人の書いた反捕鯨の本は少なく,彼らの主張を知るためには貴重な1冊かもしれない.


著者は水産庁の元官僚でIWCの代表でもある.捕鯨問題に関しては日本側の第一人者である.もちろん捕鯨に関しては賛成の立場だ.その根拠は鯨の生息数の回復や食害論を挙げているが,だから捕鯨してよいという結論にいたるのは単純すぎと思う.生態系は複雑であり,もっと広く調査する必要がある.捕鯨賛成派の意見はどうも表面的な調査の感じが否めない.生態学の点からもっと深く追求する必要がある.

クジラと人のかかわりを歴史的分析を通して考察している.「鯨文化」はプロパガンダ的な要素が大きいようだ.文化,伝統から捕鯨を正当化する危険性を感じる.歴史的事実をもとに「鯨文化」の本質をつき,捕鯨問題の文化的・歴史的側面を考えるには必読の一冊だ.

日本の捕鯨は何故非難されるのか,またそこには日本バッシングが存在するのかをアンケート調査をもとに分析しており,研究レポート的な内容だ.捕鯨・反捕鯨(ここでは日米)間の意識の違いを中心に述べている.そこには暗黙的な日本たたきがありそうだ.(鯨の生態(生息数)や捕鯨による環境への影響などの科学的な問題についての記載はなく.捕鯨そのものの問題については触れていない.)

捕鯨に関わる人々を描いたノンフィクション作品で,捕鯨問題には触れていない.現在の捕鯨問題は政治問題化してしまい,現場の人々のことを忘れがちだ.捕鯨にかかわり多くの人が生活していることを忘れてはいけない.ただその現場の人たちの捕鯨問題への考えも聞いてみたかった.


捕鯨は本当に必要なのか
どうして鯨を捕って食べてはいけないのだろうか.逆に何故日本は捕鯨にこだわるのだろうか.捕鯨に関する問題は単に科学的な面だけでなく,文化的な問題,さらには政治問題でもある.さらには感情的な意見もあり問題を複雑にしている.個人的にはホエールウオッチングもすれば鯨肉も大好きでよく食べる.自分としては捕鯨派でも反捕鯨派でもなく,中立的と思っている(単に節操がないだけか.)鯨肉を食べながら自分なりに捕鯨問題を考えてみた.

鯨は特別?
何故鯨だけ特別扱いするのだろうか.鯨は高等な生物で人間と同じ哺乳類だからとされている.さらに鯨は哺乳類でありながら水中で生活し,その外観も他の哺乳類とは違う.さらに大きく,ゆったりとした動きの印象のため,何か特別な存在のように感じる.神秘的なものを感じることさえあろう.地域によっては畏敬の念を抱くところもあるそうだ.現在ではホエールウオッチングのように観光資源であり,大自然の象徴,さらには自然保護のシンボルのように扱われることもある.今風に言えば癒し系の動物ともいえる.

しかしそれだけで鯨を食べるなとは科学的根拠になってない.単に人間と同じ哺乳類だから特別というのはおかしい.人間は他の哺乳類を食用としてきたではないか.鯨も同様に扱うことができないのだろうか.
ここで勘違いされやすいのは鯨は水棲で魚類と同じような感覚で扱われやすい.漢字も魚偏であり,日本人は鯨も魚類と同じように漁をし食してきた.ただ魚類であろうと哺乳類であろうと生命には変わりなく,哺乳類だからといって鯨だけ保護の対象とするのはおかしい.水産資源として鯨も魚類と同様に扱う考えがある.もっとも最近ではマグロ類をはじめ魚類の中にも乱獲の影響で激減し,魚類でも保護の対象となっている.
もっとも魚類と哺乳類である鯨では大きな違いがある.それは産卵数(出産数)だ.多くの魚類は一度に何百から何百万個という大量の卵を産卵する(もちろんそのうち成魚となるのはほんのわずかだ.)しかし鯨は1回の出産数は1頭であり,乱獲のダメージから回復するには時間がかかると思われる.やはり鯨は魚類と同じように扱うのは困難で,哺乳類として他の陸棲の野生動物と同等に扱うべきである.

同じ哺乳類でも牛や豚は家畜であり,鯨は野生生物で一緒にはできない,やはり保護の対象とすべきと言う人がいる.実際鯨以外の野生生物は保護の対象となっていることが多く,原則捕食は禁止されていることがほとんどだ.よって野生の鯨も保護の対象とすべきだというわけだ.ただ家畜は食用OKで野生生物はNOというのは本来おかしな話しではないか.人間が自然界の中で他の生物と共存共栄していた頃は,人間を始め食物連鎖の上部にいるものは下部の生物を食するのは自然の摂理であった.その頃は(人間も)みんな野生生物であった.そんな原始時代のことを言ってもしかたないかも知れないが,これが人間も含めた自然界の本来の姿である.極論であるかも知れないが野生動物を食してはいけないという倫理感の方がおかしいともいえよう.家畜であろうと野生生物であろうと同じ生命である.自然界の摂理の中で生命に感謝しながら捕食するのが,食べられる側も成仏するというものだ.

では家畜=食用,野生動物=保護という考えが生まれた背景は何か.人間が自然界の摂理からはみ出し乱獲をするようになったからだろう.鯨も油をとるため乱獲された時期があり,絶滅に瀕している種もある.野生動物の保護は人間の過去の行為に対する後ろめたさや懺悔の気持ちから発生したようなものかもしれない.人間が生きていくために必要最小限の野生動物だけを狩猟していれば(例えある種の生物が絶滅しようと),それは食物連鎖の一部で生きていくためにはしかたない行為として保護という考えは生まれなかったかもしれない.過去に野生動物も多く生存していた頃は保護という考えはなかった.しかし実際はすでに乱獲をし,また人間として倫理観や思考力を持つ生物界の頂点に立つものとして,徐々に後ろめたさを感じ,野生動物の保護という考えがうまれ,この考えは今後も続くし,さらに拡大するであろう.

そう考えると鯨も野生動物であり,過去に乱獲され生存数は激減している.現代人の思考からすれば保護の対象となるのは自然な流れなのかもしれない.

保護の必要性
鯨の保護の必要性はどの程度あるのだろうか.前述したように保護という考えには過去の人間の行為に対する後ろめたさから発生したものと思う.絶滅に瀕して可哀想などと,どうしても感情的な部分がある.しかしある種の生物が増えたり減ったり,さらには絶滅したりするのは,ある意味自然な流れなのかもしれない.自然淘汰である.例えそれが人間の乱獲によるものでも,人間も地球上の自然界の一部である以上,ある意味「自然淘汰」といえよう.

では野生生物の保護は必要ないのか.いや必要だ.なぜ保護が必要なのか.それは生態系の崩壊を防ぐことであろう.野生生物が絶滅する点では自然淘汰も生態系の崩壊も同じようなものかもしれない.しかしこの2つは明らかに違う.自然淘汰とは水面の波のようなもの.高くなったり低くなったり,これを永遠に繰り返す.生態系の崩壊は干ばつのようなもの.水自体がなくなり,すべてが終わってしまう可能性がある.自然淘汰では一部のある種の生物が絶滅することはあるが,代わりに他の生物が繁栄し新しいバランスが生まれる.生態系の崩壊では最悪の場合地球上のすべての生物が絶滅してしまう.結局は人類も滅亡してしまうかもしれない.

人類滅亡とは大袈裟かもしれないが,生態系の保全にはもう一つ人類の食糧確保という意味がある.人類は動物,植物問わす他の生物を食して生きている.そのためには他の生物が十分存在している必要がある.もし生態系が崩れ多くの生物が死滅してしまったら大変なことになる.食糧危機となり食物の争奪として戦争が起こるだろう(この戦争という行為は実は人類独特の自然淘汰の1つかもしれない.)最終的に生き残るのは霞を食べる仙人のみだ.

生態系というのは非常に脆く,その一角が崩れると全体に影響が及ぶことがある.また修復も非常に困難である.すべての生物が生態系の構成に関与しており,ある種が絶滅した場合,他の種への影響が考えられる.自然保護すなわち生態系の保全は一部の種の保護だけを行っても意味がない.生態系全体で検討する必要がある.
また生態系の保全は単に野生生物を殺さないことではない.地球上の生物で人間の影響を受けていないものはいない.一度何らかの影響を受けてしまえば,自然に元通りになることはないだろう.そのため人類が何らかの関与をする必要がある.生態系の調節とでもいえよう.絶滅に瀕している種には保護を,異常に増殖した種は間引く必要がある.

鯨食害論
よく捕鯨派の言い分として鯨食害論がある.これは一部の種の鯨は増加傾向にあり,このまま増えれば餌となる小魚や水棲小生物を食い荒らし,他の種の鯨や魚類の餌不足となる(そのため捕鯨する必要があるという.)もしこれが正しいとしても生態系のバランスの変動範囲内の可能性がある.すなわち鯨が増える→小魚が減る→小魚を食する他の魚類も減る,同様に鯨も減る→小魚が増える→小魚を餌とする魚類や鯨が増える.この繰り返しだ.生態系は常に流動的だ.一時的な変動に敏感になり過ぎ間違った生態系の調節を行うと取り返しのつかないこととなる.増加した種の鯨を間引けばバランスがよくなり他の種の鯨や魚類が増加する保証は全くない.さらに悪い影響が発生するかもしれない.鯨食害論に基づく間引きには慎重に対応する必要がある.

また反対に鯨のせいで小魚など減っているなら,今より鯨の多かった過去に既に小魚が減って他の魚類は絶滅していたという意見もよく挙げられる.しかし昔と今では地球環境も大きく変化しており条件が違う.単純に比較できるものではない.

そもそも小魚などの海産物が減少しているのは人間による乱獲のせいではないか.そのことを棚に上げて鯨のせいにするのはおかしい.さらに生態系はそんな単純なものではなく,他の色々な要因が深く絡んでいる.日本の調査捕鯨で鯨が何をどのくらい食べているかを調べたところで,それが生態系にどう影響しているか,さらに鯨を間引いたときの生態系への影響など分からない.

鯨食害論の根拠となっている算出方法にも問題があるようだ.この論文を発表した著者は捕鯨派であり,中立的な立場からの提言ともいえそうにない(統計処理など一見科学的と思われるものも,操作者により全く違う結果を導き出すことができる.数値を鵜呑みにしてしまうのは危険だ.事実を反映していないことさえある.数値がどういった経緯ででてきたものか,その意味は何かをよく考える必要がある.)結局捕鯨派が勝手に鯨を悪人に仕立てているだけのようにみえる.生態系のバランスが現在どういう状態なのか,このままならどのような方向へ向かうのか誰にも分からない.

しかし過去に鯨を乱獲したため鯨を取り巻く生態系のバランスは以前とは変化してしまったのも確かで,今後も人間の関与が必要だろう.単なる食害論からではなく,もっと大きな生態系のバランスを考えた場合,間引きも必要となることもあろう.しかしその判断は簡単ではない.誰にも分からない,神のみぞ知るといえよう.

鯨文化
なぜ世界から非難されても日本は捕鯨にこだわるのか.まず文化とのとらえ方がある.捕鯨は古来から日本で行われてきた.しかしその古式捕鯨は現在の船団を組んで南氷洋で行う捕鯨とは違う.現在の捕鯨は捕鯨文化の継承とはいえない.

また鯨肉の食文化のため捕鯨するという意見もある.鯨肉を食する伝統は残して欲しいと思うが,鯨に関する食文化は新しいもので「文化」や「伝統」という概念には当てはまらない.遺跡から鯨の骨など発掘されて古代より鯨は食べられていたのは事実のようだ.しかしそれは極限られた地域で,また鯨がたまたま打ち上げられた時のこと.江戸時代から徐々に広まったようだが,やはり地域限定の食文化であり,日本全国に鯨食が広まるのは戦後のようだ.

日本の主張として文化論を出すのは墓穴を掘るようなもの.現在の捕鯨は伝統の継承ではない.欧米の感情論と同レベルに見られてしまう可能性があり危険だ.(この主張が通用するのは沿岸で行われる小規模な伝統的な捕鯨のみだ.)

欧米の乱獲
鯨の減少は過去に欧米が乱獲したためで,その張本人からとやかく言われたくないとの意見がある.だからといって捕鯨を正当化する理由にはならない.過去のことは過去のこと.今後水産資源として長く利用するために重要なのは鯨を取り巻く現在の環境だ.一部のナショナリズム的な意見は非常に危険に感じる.全く非科学的な根拠で捕鯨を続ければ,結局鯨の絶滅を招き,日本の真の鯨文化を消滅させることになるだけだ.

日本の調査捕鯨
日本の調査捕鯨は国際捕鯨委員会(IWC)が1982年商業捕鯨の全面禁止を決定したのを受けIWCの規定にある調査捕鯨を開始したことに始まる.純粋な科学的調査のための捕鯨と言うより「調査」という名を借りた実質上商業捕鯨と思われてしまっている.誤解を招いている1つに鯨肉の販売がある.鯨肉の販売はIWCの規定に則って行われ問題はないのだが,やはり商業捕鯨と見られてしまう.鯨肉販売による利益は調査捕鯨の費用に充てられるようだが,本来調査捕鯨は国際的な鯨資源の調査であって日本国内で鯨肉を販売することが目的ではない.調査捕鯨で得た鯨肉はIWCに帰属するものである.よってその販売による利益も当然IWCのものであり,IWCに上納したらどうだろう.日本は鯨肉販売(商業目的)ではないことをはっきりさせるべきだ(その代わり調査捕鯨の費用はすべて日本国民の税金でまかなうことになり国の財政的には大変ではある.)

調査方法にも問題が多いようだ.生態学の調査では非致死的な調査方法が主流となりつつある.ただでさえ昔より数の減っている鯨を毎年1000頭以上捕って何を調査しているのだろう.餌の経時的変化や海洋汚染物質の影響を見るための血液や筋肉,脂肪のサンプル採取には捕獲が必要だろうが,果たして1000頭もの鯨を殺す必要があるのか.この調査捕鯨そのものが生態系のバランスを崩す様なことがあってはならない.

ところで根本的な問題として調査捕鯨を続ける必要性はあるのか.調査方法に問題があるにはせよ,生態系の調査という点では利するものがなくとも調査し続ける必要があろう.特に日本だけでなく過去に乱獲した欧米の先進国はその義務があると思う.

一方国内事情からいうと税金を投入しわざわざ南氷洋まで調査をする必要があるのだろうか.調査捕鯨をすすめてきたのは日本の一部の官僚だろう.調査捕鯨という国策である以上,一度決まった方針は何がなんでも推し進める.国内の道路やダム建設と同じだ.官僚の悪いところがでてしまっている.もっと柔軟に対応できないのだろうか.いっそ資源保護の意味から一時的に調査捕鯨を中断する勇気をもつべきだと思う.日本の官僚は頭がいいのか,悪いのか,不思議な人たちだ.

国民生活においては調査捕鯨派必要なのか.最近では鯨肉の需要の落ち込みにより在庫がだぶつき気味のようだ.在庫がだぶついているのに税金を投入しわざわざ南氷洋まで捕鯨にいく必要があるのだろうか(もちろん調査が目的で販売用の鯨肉確保が目的ではないが).実際日本人のどのくらいの人が鯨肉を有り難く食しているのだろう.スーパーにあればたまに買って食べるが,なくては困る食材ではない.税金を投入してまで捕鯨を続け,在庫を抱える必要があるのだろうか.

そう考えていくと調査捕鯨のあり方について早急に見直す必要があろう.真に科学的な調査方法で生態を調査するのならば各国が参加する中立的な調査機関を起ちあげる必要がある.現在日本では鯨肉の需要も減少し,多くの鯨を殺す必要がなくなり,非致死的な調査に変換するいいタイミングと思う.今まで捕鯨問題ではヒールと見られてきた日本が過去の調査捕鯨の問題点を自ら反省し,新たな調査機関を提案すべきだ.これは今後の日本の外交においてもプラスとなろう.

商業捕鯨へ
日本は純粋に鯨を水産資源として活用するのなら調査と同時に,はっきりと商業捕鯨の再開を宣言したらどうだろう.もちろん商業捕鯨再開についてはいくつかの条件や問題がある.
まずしっかりとした調査を行い,捕獲数を決定することだ.本当に鯨は増えているのか.増えているなら,そのことが生態系にどう影響しているのか.前述の通り,実際の生態系の状況は神のみぞ知るである.とくに最近の温暖化に伴う環境の急激な変化により,今までのデータをそのまま今後の見通しに使用することは危険だ.鯨は増えているというが今後の温暖化による影響は全く不明だ.安易に増えているから捕まえるでは取り返しのつかないことになるだろう.慎重に調査を続ける必要がある.

次に商業捕鯨を再開して産業として成り立つかだ.鯨肉の需要はあるだろうか.鯨肉の在庫はだぶつき気味のようだが,需要がないというよりか流通が確立していないのが原因であろう.さらにマグロなどの水産資源保護のため漁獲高の規制が強くなると,代わりの蛋白源として脚光を浴びるのではないかと思う.
さらに寿司,天ぷらのように日本の食文化として欧米でも鯨肉の需要が高まるかもしれない(これは極論かもしれないが,過去にも生魚を食べる日本人を野蛮だとか気持ち悪いと行っていた欧米人は今喜んで寿司や刺身を食べているではないか.鯨肉もそうなる可能性は十分あろう.)日本はもっと積極的に鯨食を世界に紹介し理解を深めてもらう努力をすべきだ.

心配なのは鯨肉の汚染問題だ.水銀やPCBの蓄積が問題になっている.商業捕鯨を再開しても鯨肉を販売できないのでは困る.南氷洋の鯨は汚染が少ないといわれているが,南氷洋での捕鯨のみではいつか資源の枯渇などの問題が発生するであろう.またこの問題は他の水産資源にも同じだ.とくに食の安全に直結する問題であり,何らかの手立てをとる必要がある.しかし単に汚水を海に垂れ流すなといっても先進国だけでなく途上国にも関係する問題だ.温室効果ガス削減でも先進国と途上国の対立がみられるように各国の事情もあり,簡単に解決する問題ではない.

現在は調査捕鯨ということで補助金が使われている.商業捕鯨は経済活動であり,今までのように補助金でまかなうわけにはいかないだろう.鯨肉のだぶつきなども考慮すると南氷洋での捕鯨では採算性はとれないだろう.商業捕鯨は沿岸捕鯨で十分だ.問題は鯨肉の汚染で,国も税金の使い道として捕鯨自体に補助金を出すのではなく海洋汚染問題の解明研究・対策に対し出すべきであろう.これは鯨だけでなくすべての水産資源に及ぶ問題であり,税金を投入する意義は大いにあると思う.

IWC
現在のIWCは捕鯨派,反捕鯨派が自分に都合のいいデータを出し,都合のいい主張を繰り返しているだけのようにみえる.そこには政治問題や文化論,さらには感情的な意見など,非科学的なものが支配している.日本も一部のナショナリズムな意見や国の面子のために対立を続けることは全く無意味だ.欧米などの反捕鯨国ももっと冷静になるべきだ.鯨は知的だとか,可愛いとかといった意見で捕鯨を反対するのは結局生態系のバランスを無視したものであり,自然保護に逆行する.真に自然保護を考えるなら,もっと冷静に論議する必要がある.

IWCの裏では多数決決議のため捕鯨に無関心な国の票を金で買うようなことが横行しているらしい.これでは委員会は機能不全状態だ.本来捕鯨を通じて鯨資源を保全することが目的のはずだ(もっともIWCの発足は捕鯨枠を決め,鯨油の価格暴落を防ぐことにあり,鯨資源保全は目的に入っていなかった.その後資源保全の考えが前面に出てきた.)捕鯨するにも禁止するにももっと科学的な根拠が必要だ.科学委員会を中心にした組織改革が急務だろう.

一部にIWCを脱退し,捕鯨国を中心とした捕鯨と資源保全を同時に遂行していくような新たな団体を設けるべきとの考えもある.しかしそう簡単に新団体ができるだろうか.さらにIWC脱退となれば捕鯨以外の外交交渉にも色々影響するであろう.やはりIWCの改革のほうが現実的だろう.

水産資源としての有効活用
IWC改革として早急に資源の有効利用(捕鯨)と資源の保全のバランスのとれた委員会を作ることが重要だ.資源利用と資源保全のバランスをとることは鯨に限らず,すべての資源にとって重要な問題だ.頭ではわかっていても感情的な反捕鯨国は妨害にでるかもしれない.しかし感情論だけでは解決しない.その一つが食糧問題だ.

今後食糧問題は深刻化するだろう.現在捕鯨していない国が自国の食糧問題解決のため鯨の乱獲に走ったらどうなるだろう.例えば捕鯨問題には中立的立場の13億人以上の国民を抱える中国が食糧不足に墜ちいたとき,その蛋白源の1つを鯨に求めてもおかしくはない.現在中国が資源外交を行い資源を買いまくっているように鯨を捕りまくる可能性がある.日本が年間1000頭以上の調査捕鯨をしていて,中国が同様に調査捕鯨を開始してどこが悪いと開き直られる可能性もある.

食糧問題は世界中の国々で勃発するだろう.すでに深刻な状況に見舞われている地域もある.この点を論争の中心にもっていけば「鯨は知的だ」「鯨は可愛い」から捕鯨は反対という感情論は鳴りを潜め,IWCも健全な形に戻ることができるのではなか.食糧問題の解決のためにも適切な資源活用のための捕鯨を訴える必要がある.

最後に,
とにかく現状では現在の科学的といわれているデータの信憑性や中立性に疑問がある.何を信じればいいか分からないというのが本音だ.温暖化など地球環境の急激な変化においては過去のデータがどれほど活用できるか問題だ.さらに食糧問題など人間を直接取り巻く環境の問題も大きい.

自分なりの意見や結論にはいたらず,今まで捕鯨問題に関連して出てきた色々な意見などを紹介しながら,自分なりの解釈を述べるに留まってしまった.ただ望むことは一刻も早く捕鯨と資源保全のバランスがとれるようになり,日本で捕鯨が続けられ,鯨肉を食べられることがこれからも続くことだ.

-Mar.2009
-Aug.2009,up